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<<   作成日時 : 2017/02/18 17:01   >>

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同人誌『虹 27号』を読む 
  佐藤重男
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同人誌『詩・童謡 虹 27号』が届きました。
同人7人の作品22編とエッセイ2編が収められています。順に見ていきましょう。

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新井 和「〈遠い記憶〉お正月」「〈遠い記憶〉ヤットコ」「利根川の四季 かえり道」
作品「〈遠い記憶〉お正月」は、なんとも不思議な、ある一つの物語の断片を切り取ってきたもののようなのですが、「ポックリ ポックリ」が妙に耳に残ります。
作品「ヤットコ」の「ヤットコ」は、道具のそれではなく、アリジゴクのこと。今も、神社のすみっこのどこかにアリジゴクは見つけられるのでしょうか。
作品「かえり道」もまた、〈遠い記憶〉の一つ。「てつ下駄」を引きずって土手にあがった少年。彼を迎える小さきものたち。そして、風船は何を象徴しているのでしょうか。
遠い記憶は、いよいよ霞がかかり曖昧なものへとうつろっていくかのようです。

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宇田川直孝「夕日」「めざめ」「暗転」「夏の記憶」
作品「夕日」は、暮れなずむ一瞬を抒情的にとらえたものです。「のぞいている」「一つ忘れて」などが効果的だと思います。
作品「めざめ」は、春の訪れを「音」で表現したもの。深い雪に閉じ込められている中、冬だからこそ耳にする様々な「音」たちが、実は、もう春が近いことを教えてくれている、ということでしょうか。
作品「暗転」。季節の移り変わりを一つの「舞台劇」に喩えています。「春雷」は、スタート!、の号砲のようです。
作品「夏の記憶」は、去りゆく季節への葬送曲にも似たものを感じます。登場する者たちは、それぞれのパートを演奏する楽器のようでもあります。

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かわさき洋子「かべに むかって」「センセイさま(日本が戦争をしていたころ)」「海のそばを走る列車―羽越本線」
作品「かべに むかって」は、かみしめるように読む、という所作が求められるもののようです。そして、何かが起きそうな予感に包まれるのですが、その期待は見事に裏切られ、「これでおわり。/ああ つまんない。」と幕は閉じます。「わたし」は、なぜ落胆したのか、…「あなたもでしょ」という声が聞こえてきそうな。
作品「センセイさま」は、時代の重しがずっしりと感じられるのです。日本が戦争をしていたころ、教師と医者の権威は「先生様」と呼ばれるほどであったこと、遠い昔の話になりましたね。耳の中のできもの≠切り取る手術をしなければならなくなった「わたし」。手術台に乗せられみんなに抑えられ、怖さのあまり「やめて。センセイさま」と叫んでしまった自分。やめてくれるかも知れないと、「さま」までつけてしまったことへの自己嫌悪?
作品「海のそばを走る列車」を読んでいて、ずっと昔、仕事で山形の鶴岡に出張のたびに、新潟から「特急いなほ」に乗り継いだことを思い出していました。当時、電化がおくれていたせいか、「いなほ」はジーゼル車でした。だから、電車ではなく「列車」なのですね。そして、「いなほ」は、海岸線を走り続けるのです。すぐ向こうに見えるのは佐渡島だとばかり思っていたのですが、後で、そうではないことがわかりました(粟島)。温海温泉を過ぎると、「いなほ」は内陸部へと入り、やがて、都会のカラフルさとは違って、どの民家の屋根も黒いことに驚かされることになります(象潟(きさかた)は、さらにその先、秋田県になります)。

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前田都始恵「〈おばけのビリ子〉おえかき だいすき」「いっぽ」
作品「おえかき だいすき」を読み始めて、もうすぐ取り壊されると知っていて、人はなぜ壁画を描こうと思うものなのか、と内心、いぶかったものです。記念に、思い出に、という動機からなのでしょうが、でも、すぐに跡形もなくなってしまうのです。でも、描いたものは、人々の心に残る、と。震災遺構、というものがあります。後世への教訓として残すべき、いや、嫌な思い出は早く忘れたい、という様々な意見があって、取り壊されてしまうものが数多くあります。
でも、ビリ子たちの描いた絵は、新しい美術館が建てられることで残されることになりました。
作品「いっぽ」は、ひさしぶりの幼児詩です。「這えば立て、立てば歩けの親子頃」とは、いつでも、どこでも、地球規模の共通語のようです。

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安田充「雨」「小さな秋」「中学時代」「田舎の夏休み」
作品「雨」を読んで、「いま、トタン屋根なんてあるのだろうか」、と懐かしさが湧いてきます。トタン屋根を打つ雨音は、それは独特のものがありました。誰かにとっては、おとぎ話の世界への入口になったのかも知れません。
作品「小さな秋」の、お年寄りに差しだされた幼児の手。まさに「紅葉のよう」だったはずです。
作品「中学時代」を読んでいて、「ああ、こういう奴、クラスにいたよな」と苦笑してしまいます。もしかしたら、そのうちの一つや二つは、自分にも当てはまるのかも知れない、とも。笑ってなんかいられませんね。「自分は他の人とは違って特別」という感情は、思春期の特権でしょうか。
作品「田舎の夏休み」は、単なる郷愁を描いているのではなく、地方の田舎が「限界集落」などと呼ばれなければならない、そのことへの異議申し立て、とも読めます。じいちゃんやばあちゃんたちが、都会へ出てしまった家族との絆を断たれることで、いったい誰が得をするというのか、そんなことまで考えてしまいます。

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鳳梨花「えあ・こん談会」「冷蔵庫のつぶやき」「洗濯機の空」
作品「えあ・こん談会」は、ブラック・ユーモアというよりは、一つの洒落なのかも知れません。「えあ」は「エア=空気、架空の」ということでしょうから、「仮想懇談会」とでもいうことになるのでしょうか。エアコンとしての機能が失われようが、「使う気で」いたという「取扱者」の意向はなんだったのでしょうね。
作品「冷蔵庫のつぶやき」、また家電の登場。それにしても、立場が変わるとこうも、という感じがします。二十年間も使ってきたということは、「ものを大切にする」ということなら褒めてあげたてもいいのでは?
作品「洗濯機」も、永年使ってきた家電へのねぎらいの言葉が並びます。エアコン、冷蔵庫、洗濯機のなかで、どれが一番存在感があるでしょうか。エアコンは扇風機や風鈴に、冷蔵庫はコンビニに、洗濯機はコインランドリーに置き換えられますが、捨てるとして、いちばん情が移るのはどれでしょうか。

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尾上尚子「お見舞い」「ペパーミントキャンディ」「あっち向け ほいっ」
作品「お見舞い」を読んでいて、こんなにも孫に好かれるお年寄りは、最近、めっきり少なくなったような気がします、お年寄りは増えたというのに…。
作品「ペパーミントキャンディ」は、おばあちゃんが主人公です。「せっせと世話をしてあげれば、それだけのものが還ってくる」というのは、本当のことのようです。余談ですが、最近、大型商業施設に行くと、必ず、「駄菓子屋」を目にするのですが、まあ、その種類の豊富なことに驚いてしまいます。
作品「あっち向け ほいっ」は、おじいちゃんのお見舞いに行った「わたし」が、じゃんけんをして遊んでいた時の出来事です。おじいちゃんは、だんだん「小さな子ども」に戻って行っているようです。
三編とも、祖父母と孫との交流を詠んだものですが、果たして、これから先、お年寄りの存在は、幼児にはどう映ることになるのでしょうか。

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今号は、お年寄りの登場が多いようですが、今号の「テーマ」だったのでしょうか。それはそうと、「虹」のメンバーにしては、いつもに比べ、毒気がなかったなあ、という印象を持ちました。もっとも、また違う顔を見せてもらって得をした、ということになるのでしょうが…。
いつもいつも、駆け足の寸評になってしまい、申し訳ありません。作品名などに、誤字・脱字などがありましたらお知らせください。

                   ―この項 完―

2017.2.18



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