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zoom RSS 少年詩時評「批評は第二の作品」

<<   作成日時 : 2017/07/09 17:16   >>

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少年詩時評「批評は第二の作品」
         佐藤重男
 □
ある雑誌を読んでいて、これまでのわたしの少年詩・童謡集への批評において、何が足りないのか、その事に気づかされたことがいくつかありました。
その一つは、少年詩・童謡の作者が対象とどう向かい合い、その時、互いに交わしたものは何だったのか、そのことに、わたしは関心を寄せて読んできただろうか、ということです。
例えば、少年詩・童謡集に収められている作品のなかで、こう書いてあったとします。

      *
 手のひらに
 花びらを受けとって
 春の日が暮れてゆく
               詩とエッセイ「風の靴を穿いて 19号」北原悠子 より

この時、作者と「花びら」(あるいは「暮れてゆく」その様)は何かをやりとりしているのです(それが何であるかを作者自身気づいていない場合もあるでしょう)。
だとすると、そこで起きている出来事を再現してみること、それが批評の役割であり、存在意義なのではないでしょうか。

 □
もう一つは、批評は、作品の価値判断を行ってはならない、なすべきは、その作品の持つ価値を発見することである、ということを教えられた、ということです。
これまで、たくさんの少年詩・童謡の作品が世に送り出されてきましたが、その必然があったのであり、そのなかのどれをとっても、決して無駄なものなど一つとしてありません。
だとすると、好き嫌いがあったとして、それを価値の有無(判断)に置き換えてはならない、ということになります。
どういうことでしょう。
好きだということは、その作品世界に価値を見つけた、ということであり、そうでない作品ということは、価値を見いだすことができなかった、ということなのではないでしょうか。

 □
もし、わたしたちが作品と向かい合ったとき、「再現」と「発見」という二つを実感できたとして、そして、それを言葉で誰かに伝えることができたとしたら、わたしたちは、それを「批評は第二の作品」と大威張りで口にすることができるのではないでしょうか。
改めて、その初心に戻りたい、そう強く思っている次第です。

           ―この項 完―

いつものことですが、作品の引用にあたっては、誤字・脱字などのないよう努めましたが、何かお気づきの点がありましたらお知らせください。
            
2017.7.9



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