少年詩2010

アクセスカウンタ

zoom RSS 評論『與田凖一の系譜・吉田定一』を読む

<<   作成日時 : 2017/09/12 09:27   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

評論『與田凖一の系譜・吉田定一』を読む 
                         佐藤重男
 □
『與田凖一の戦中と戦後』(本間千裕 高文堂出版社 2006.5)という238頁にも及ぶ大作があります。その中から、最後の章に収められている、「與田凖一の系譜・吉田定一―少年詩への〈問い〉と〈答え〉と問答詩―」を興味深く読ませてもらいました。(いろいろ学ぶべきところがあったので、何度も読み返しました。)
以下、寸評めいた感想になりますが、記しておくことにします。

 □
実は、この本を手にするのは、今回初めての事ではありませんでした。読了した図書のデータベースを検索したところ、次のようなメモ書きが見つかりました。
「童話や少年詩を読むとき、子どもの読者と同じように読んでいたのでは、作品の本当の面白さは、見えてこない」「子どもの目をかいくぐって、ちょっぴりのぞかせている。(ママ)大人向けの読み方を楽しめることが、児童文学の魅力でもあるのだ」西図書館06年10月

出版されたのが「06年5月」とありますから、すぐに図書館にリクエストし、目を通していたのですね。いやあ、お恥ずかしい話です。ただ、やはりこの時も、「與田凖一の系譜・吉田定一―少年詩への〈問い〉と〈答え〉と問答詩―」の章だけを読んでいたようです。
それでは、少々気合を入れて論考に入ることにしましょう。

 □
p191p〜195までは、與田凖一(以下、與田)と筆者(本間)の「出会い」(お墓詣り)や、與田にまつわるエピソードなどが紹介されているですが、わたしは、はじめ、この件(くだり)は不要だと思い、論点から排除したのでした。
読み返してみて、でも、と思い始めたのです。実は、北原白秋(以下、白秋)と與田の関係などは「吉田定一論」とは無関係だろうと考えたのですが、與田が白秋を師と仰ぎ、多大な影響を受けたのと同じように吉田もまた與田に師事したことで大きな影響を受けたはずであり、だとしたら、白秋―與田―吉田、という一つの系譜として扱わなければ、ということになるからです。
本間は、吉田定一の第一詩集『海とオーボエ』(かど創房 1981.5)に寄せた與田の跋文を引いた上で、こう書いています。
「ここには白秋の弟子としての葛藤を経た詩人の感慨と、自分の影響を少なからず受けているだろう後輩詩人への配慮が語られている」p196
そのことを、自分の詩集『金魚のでんわ』(書肆楽々 2001.12)を編集する際に思い知った、というのです。
しかも、詩集『金魚のでんわ』に寄せられたたくさんの感想などの中で、編集者の一人であった北川幸比古が推した作品「ばらのはな」「アリとバラ」の二編に言及したのは、ともに與田の示唆を受け、また、與田の研究者でもある吉田、畑島の両氏であったといい、「どこかで何かが繋がっているのだろう」と書いています。p197(注、畑島=畑島喜久生)

 □
さらには、「與田凖一は戦後、詩のような童話をたくさん書いた」p197ことに触れつつ、「戦後、―略― 詩的な童話が批判された」こと、「戦時中戦争協力詩を書いたから、戦後童話に傾倒した」などについて、北川、吉田の言説を見聞きしている中、「詩から童話への方向は與田にとって自発的必然だったのではないか」p198(この辺の事情については、『與田凖一の戦中と戦後』のなかの「與田凖一と無国籍童話批判」―三枚童話と長編『五十一番目のザボン』の章で詳しく記述されています)との問題提起につなぐ形で、こう書いています。
「與田自身ほどの強力、協力的鑑賞者、愛読者に恵まれなかったのだと思う」(同)、と自分が経験した次のような例をあげます。
「拙詩集への感想を読み、人の好みは十人十色だと痛感した。」(同)
そして、「児童文学が生産的であるためには、積極的な鑑賞者、作品評価の前に作品への好意があってこそ、また、鑑賞は生産的行為だということを、児童文学の場合は特に大人読者が意識しなければならない。そんな思いを胸に」(同)吉田定一の作品の考察に入ることになります。
やや感情に流された言い方のように聞こえますが、児童文学の底上げにつながる「読者論」として貴重な提言ではないかと思いますし、実は、この提言にはいくつかの伏線が張られています。特に「大人読者」という点にそれはあります。(後述)

 □
まず、本間は、『朝菜夕菜』(吉田定一 1995)に収められている作品「じゃがいものうた」「さやえんどうのうた」「わさびのうた」をとり上げ、
「洒落ていて、かつ、洗練された言葉によって綴られる作品に見る比喩は」「あくまで軽妙である」と、その「鮮烈な比喩」を称えます。p201
その上で、本間は、「そればかりではない」として、作品「りんご」を引き、「目新しい比喩が用いられる作品に比べ、おとなしい印象である」と指摘します。p203
その理由を補完するため、本間は、次の、別の書き手による作品を掲げます。
「りんご」與田凖一
「リンゴ」まどみちお
「りんご さくさく」関根榮一
「りんご」清水たみ子
そして、本間は、それぞれ「個性があり、魅力あるものだが」、そこには類似性もみられ、「それは、作品のマイナス要素とされがちで」、「事物詩、広くは少年詩の持つ限界がある」といいます。p208
そのうえで本間は、「吉田定一は、このような状況を認識してい」たであろうに、なぜこの作品を発表したのだろうか、と問い、こう答えます。(同)
吉田以外の四つの作品に共通している「「詩の重さ」「詩の心」」に重なる、「様々な想いを抱えているのだという、詩人(吉田―引用者)の考え方」に注目したいと言い、それらの「作品の傾向をどう評価するかも問題である」と結んでいます。(同)

 □
ここまでの本間の論旨に対して、わたしたちが気になるのは、吉田の事物詩に「鮮烈な比喩」といった称賛の言葉を贈る一方で、作品「りんご」のように、類似性の持つ「マイナス要素」=「少年詩の持つ限界」という指摘、そして、吉田はそのような「限界」を承知していたにもかかわらず公表したのはなぜか、という問いかけではないでしょうか。
まず、本間のいう「少年詩の持つ限界」とは、何を指しているのか、そのことについて考えて見ようと思います。「限界」というとき、一般に、「マイナス」のベクトルを持つものとして受けとめられますが、それは、「乗り越えるべき目標」というプラスのベクトルを予感させはしないでしょうか。そこに止まっていたのでは、先はありませんよ、ということを言っているのだ、と。
本間の「詩人や詩を書こうとする人々がそれぞれ新しい「りんご」の詩作品を生み出して」欲しい、という願いにそのことが端的に表れています。p208
また、本間は、作品の類似性のみに目を奪われることなく、一つ一つの作品の持つ意味性や社会性、あるいは作品の持つ「感動性」をどうとらえていくのか、そのことの重要性を「作品の傾向をどう評価するかも問題である」と問うているのではないでしょうか。

 □
次に本間は、吉田の作品「なしのうた」をとり上げます。
まず、本間は、まどみちおの「リンゴ」について「あることと/ないこと」の問題に触れ、そこからまどみちおの詩(事物)に対する、「邪念のない、真摯な姿勢」を評価した上で、吉田の作品「なし」にも、まどと同様の視点がみられ、しかも「「なし」にそれを見いだしたのは、吉田定一ならではの、機智であろう」(以上p211〜p212)と高く評価します。
ここから、作品「なしのうた」に対する本間のアブーローチは俄然熱を帯び始めます。
「未熟であろう尼さん」に対する慇懃な態度での敬語、「落飾し、性愛を絶った尼」さんへの不謹慎とも受けとめられる視点に実は、「性的なものを忌避する少年詩への、問題提起の意味」があるのでは、という本間の見立ては、ほかの誰もが失念していた見識ではないか、とすら感じさせ、「「なし」は、皮が、がさがさして、色も出家者の衣服のように、地味である。が、一皮むけば、瑞々しい果肉が、甘い果汁を滴らせる」p213という指摘に至っては、本間の独壇場とさえ思わせる圧巻の論考ではないでしょうか。
そうも言えるのは、と本間は続けます。「比喩によって」作品の持つ「二重、三重に重なるそれらの「問い」に対する「答え」」が「事物の存在そのものに、収斂する」と。(同)
そして、それは、與田の求めた「詩の重さ」「詩のうしろ姿」を、吉田もまた追い求めているからに違いない、と本間は結びます。

 □
続いて、本間は、吉田の詩集『よあけのこうま』のなかから、「もっとも、詩らしくない」p213、作品「さかさかけことばのうた」をとり上げます。
この作品は「さかさのさかさはさかさ?/やおや/よるいるよ/しんぶんし」と続く、「回文」=ことば遊びです。しかも、詩誌『蝸牛』に収められている作品「ん」を併せ読むと、吉田の思い=詩意が違った形で見えてくる、と本間はいいます。それは、「さかさかけことばのうた」のなかで「唯一、感情を込められているのは」「ん?」p217のみであり、無意味なことば遊びのなかに置かれることで、吉田の「ん」に対する思い=「ん」は何でも含んでるp215と、吉田が小さかったころに吃音に悩んだことのエピソードも交え、本間はそう推論します。

 □
さらに、本間は、吉田の『よあけのこうま』のなかから、作品「かあさんあのね」を引いて、「童謡の持つリズム」について考察します。
この、作品「かあさんあのね」は、本間のいうように、七音、五音による心地よいリズムを感じさせはするものの、「たいした伝達事項のない会話が、中心となって」います。p219
そこで本間は、吉田自らが語っている「韻的な類推」というくだりを援用し、「コトバ自身の意味ではなく/略/母親との暖かいかかわりという子ども自身の経験が」p222大切なのだ、と説きます。そして、「この詩には、信頼関係で結ばれた一組の幸福なひととき」「どんな生き物にも、有ると実感させる説得力がある」(同)と評価し、同時に、「人によっては、そのような体験のない人もいる」ことに想いを馳せ、いま、わたしたちは誰もが豊かになっただろうか、失ったものはなかったのか、と「詩人(=吉田、引用者)の問いかけでもあり、自省でもある問題」(同)がありはしないか、と問いかけます。
ここには、本間の、吉田のあとに連なることへの願望が、無意識に込められているのではないか、そう察するのですが…。
(「たいした伝達事項がない」という意味では、まどの「ぞうさん」が思い浮かぶ。ここにも「類似性」がある)

 □
吉田の「物と目とが出会った瞬時の只中に感動は宿され」るp223、という「持論」がよく表れている作品として、次に、本間は「紐」と「へびは どうして」の二つの作品をとり上げます。
この項で本間がもっとも言いたいのは、「子どもの文学から離れて読む」というところにあるようです。「社会から少しはずれた「男」(あるいは女)の姿が、見えてくる」p226という捉え方は、先の、「ん」に対する吉田の思いを見事に代弁しているのではないでしょうか。
本間は、「露わには出てこないが、/略/弱さを持った落ちこぼれを、見つめる暖かい目がある」p227とまで言い切ります。そして、こう結論付けます。
「児童の文学という制約が、特に作品を狭めるのではなく、その制約があるからこそ」(同)詩人の想いを作品世界に反映させることが出来るのだ、と。
そして、本間は、「総論」として次のように問題を提起して論を閉じます。
「童謡や少年詩を読むとき、子どもの読者と同じように読んでいたのでは、作品の本当の面白さは、見えてこない」「子どもの目をかいくぐって、ちょっぴりのぞかせている。(ママ)大人向けの読み方を楽しめることが、児童文学の魅力でもあるのだ」p227

 □
本間の論考の読みどころは、いくつかありますが、「りんご」をめぐる「類似性」、そして、「大人向けの読み方」の二点が重要なポイントとしてあるような気がします。
「類似性」についていえば、少年詩・童謡の持つ、「小さきもの」そして「無垢なもの」への「親和性」が大きく作用しているのではないかとの仮説を持ちだすことが許されるのではないでしょうか。
そのことについて、先にも触れたように、本間は、次のように述べています。
「少々、弱さを持った落ちこぼれを、見つめる暖かい目がある」p227
これは、言うまでもなく、効率優先の社会にとっての「主体」から外れている存在への「親和性」を指しているに他ならないし、それは、道ばたに転がっている石ころへの存在共感へと連なる考え方だといってよいでしょう。
そのような「親和性」が強く働くことを、本間のように「事物詩、広くは、少年詩の持つ限界」p208と否定的に捉えてしまうことは果たして、少年詩の持つ可能性を引きだす力になるかどうか、大いなる議論がなされる必要があると考えます。
つまり、事物詩が大いに類似性を持つことになる、そのことを否定的に捉えるのではなく、「小さきもの(=すべてのものに命は宿っている)」への親和性は、少年詩・童謡が背負ってきた「宿命」であり、今後もそうであり続けるだろう、そうであるとすれば、類似性の中に秘められた一つ一つの「命」を一つ一つの命として探り、光を当てていく、そこに批評の役割はあるのだろう、と。
もっとも、本間は、そのことを百も承知のうえで、「限界説」を提起しているのであろうと推測されます。なぜなら、「なしのうた」(吉田定一)で見たように、「性的なものを忌避する少年詩への、問題提起の意味」p213も含めての問題関心のあり様からすれば、それを「限界」と定義づけることでその殻を破ろうとしているのかも知れません。與田が白秋の後を追って、その結果として白秋を乗り越えなければならないという「葛藤」注p193に苦しんだように、本間もまた、吉田の後を追うことの意味をつかみかけている、それが事物詩の持つ「限界」という表現に表れているのではないだろうか、というのがわたしなりの解釈です。「大人向けの読み方」を提案するのも、その延長線上にあると考えてよさそうです。
(注p193「與田は、(略)大正期童謡から脱皮するということは、彼が師父と仰ぐ北原白秋を乗り越えることだからである。そのことが彼の内面に激しい葛藤を起していた」畑中圭一)

 □
「吉田定一論」のなかで、本間がもっとも言いたかったことは、吉田を、白秋―與田の系譜にしっかりと位置付けることにあった、そのことに尽きるのではないでしょうか。そして、吉田の後継者として自分があるのではないか、との予感をもっている、とも。
もう一つ、「大人読者」という視点を提出することで、少年詩・童謡の「広がり」あるいは、新しい「児童文学の魅力」を提示しようと試みた点に、本間の強い思いを感じることができるのではないか、と。
いずれにしろ、わたしたちは、本間の「事物詩、広くは少年詩」に対する新しい視点や、それに基づく提案を高く評価し、それに学び、その先への展望を持った議論を積み重ねていく必要があると思います。
 *
今回、改めて、評論を論ずることの難しさを痛感させられました。特に、本間の著書からの引用ばかりが目立つものになってしまったこと、すべてわたしにその責任があります。いずれ必ずや「汚名返上」を果たすことをお誓いし、結びに代えさせていただきます。

 □
最後に、北原白秋〜与田凖一〜吉田定一の三人の作品が、いま、子どもたちにどのように手渡されているのか、そのことを小学校の教科書から探ってみようと思います。

【14年度検定済み】(参照 光村図書、教育出版、学校図書、東京書籍(順不同))
小二 東京書籍 「かえるのあまがさ」与田凖一
小三 教育出版 「山とぼく」与田凖一
小五 光村図書 「海燕」北原白秋

【27年度検定済み】(参照 光村図書、三省堂、教育出版、学校図書、東京書籍(順不同))
小二 三省堂  「お月夜」きたはらはくしゅう
小五 光村図書 「からたちの花」北原白秋
   東京書籍 「風のあと」北原白秋
        「ぼくらのもの」与田凖一
小六 学校図書 「広島の傷」与田凖一

 □
参照した教科書会社の数に違いがあるものの、27年度検定の教科書で採られている作品の数が増えていることはまちがいないと思います。
また、14年度、27年度の教科書のどちらにも「吉田定一」の作品が採られていない、そのことは注目しておいていいでしょう。
また、27年度版において、東京書籍の小五の教科書に、白秋と与田の作品が採用されているのが目につきますが、以前、本ブログで紹介したように、東京書籍は、他の出版社に比べて詩の掲載が多い(51点で、次に多い光村図書は36点)、そのことも考慮してよさそうです。
さらには、与田の作品が14年度では、小二・小三の教科書に採られていたのが、27年度のものでは、小五・小六と学年が上がっていることにも注目していいのではないでしょうか。
なお、『與田凖一の戦中と戦後』のなかで、本間が引いている作品は次の通りです。
『與田凖一の詩情の萌芽』
 「雨の日」p13、「なぜ高い」p14、「大きくなるよ」p16、「たかいたかい」p17、「ざぼん」p24、「月」p25、「月の光」p27、「月の光」改稿p28…與田
 「隣の屋根」p20、「朱欒のかげ」同、「尿する阿蘭陀人」p22…白秋
『與田凖一と「シウル・レアリズム」』
 「おやつ」p37、「山羊とお皿」p41、「病氣」p45…與田
『與田凖一とモダニズム』
 「てふてふ」p52、「戰う兵隊蟻」p61、「満州のひろ野」p76…與田
『雑誌『乳樹』総目次』
 ―略―
『戦時下の與田凖一』
 「龍」p120、「その人」p126、「一枚の繪」p128「家」p128、「秋」p130、「住み慣れて」p131…與田
『與田凖一と無国籍童話批判』
 「五十一番めのザボン」(童話)p141…與田
 「帰去来」p150…白秋
『與田凖一の戦後の詩』
 「夜と太陽」p162…與田
『與田凖一の絵本の仕事』
 「ビップとちょうちょう」p172、「銃後のコドモ」「海のこども」「ヒロヲニイチャン」「オソラハヒロイ」(いずれも戦中)p177、「まりーちゃんとひつじ」(翻訳)p179、「わたしとあそんで」(翻訳)p182、「あめのひってすてきだな」(翻訳)p183、「ぶたくんとえすかれーたー」p184、「ぶたろう つる子 こんきち」(短編童話)p185、「は は はるだよ」(詩の絵本)p189、…與田
『與田凖一の系譜・吉田定一』
 「霜夜」p194、「りんご」p203、…與田
 「じゃがいものうた」「さやえんどう」p199「わさびのうた」p200、「りんごのうた」p201、「なしのうた」p209、「さかさかけことばうた」p214、「ん」p216、「かあさんあのね」p218、「紐」p223、「へびは どうして」p225、…吉田
 「リンゴ」まどみちおp204、「りんご さくさく」関根榮一p205、「りんご」清水たみ子p207、
                    以上、見落としがあったらお許し下さい。


            ―この項 完―

いつものことですが、作品(論考)の引用にあたっては、誤字・脱字などのないよう努めましたが、お気づきの点がありましたらぜひお知らせください。


2017/9/12



月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
評論『與田凖一の系譜・吉田定一』を読む 少年詩2010/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる